イける。
 純一の想像には、なんの動機もなく、ふいと故郷の事が浮かんだ。お祖母《ば》あ様の手紙は、定期刊行物のように極まって来る。書いてある事は、いつも同じである。故郷の「時」は平等に、同じ姿に流れて行《ゆ》く。こちらから御返事をするのは、遅速がある。書く手紙にも、長短がある。しかもそれが遅くなり勝ち、短くなり勝ちである。優しく、親切に書こうとは心掛けているが、いつでも紙に臨んでから、書くことのないのに当惑する。ぼんやりした、捕捉し難い本能のようなものの外には、お祖母あ様と自分とを結び附けている内生活というものが無い。しかしこれは手紙だからで、帰ってお目に掛ったら、お話をすることがないことはあるまいなどと思う。こう思うと、新年には一度帰れと、二度も続けて言って来ているのに、この汽車を国府津で降りるのが、なんだか済まない事のようで、純一は軽い良心の呵責を覚えた。
 隣の商人らしい男が新聞を読み出したのに促されて、純一は又脚本を明けて少し読む。女主人公Marie Louise《マリイ ルイイズ》の金をほしがる動機として、裁縫屋Paquin《パケン》の勘定の嵩《かさ》むことなぞが、官能欲を隠したり顕《あらわ》したりする、夫との対話の中《うち》に、そっと投げ入れてある。謀計と性欲との二つを綯《な》い交ぜにして、人を倦《う》ませないように筋を運ばせて行《ゆ》くのが、作者の唯一の手柄である。舞台に注ぐ目だけは、倦まないだろうと云うことが想像せられる。しかし読んでいる人の心は、何等の動揺をも受けない。つまりこれでは脚本と云うもののtheatral[#一つ目の「e」は「´」付き。一つ目の「a」は「^」付き]《テアトラル》な一面を、純粋に発展させたようなものだと思う。
 目がむず癢《がゆ》いようになると、本を閉じて外を見る。汽車の進行する向きが少し変って、風が烟《けむり》を横に吹き靡《なび》けるものと見えて、窓の外の闇を、火の子が彗星《すいせい》の尾のように背後へ飛んでいる。目が直ると、又本を読む。この脚本の先が読みたくなるのは、丁度探偵小説が跡を引くのと同じである。金を盗んだマリイ・ルイイズが探偵に見顕されそうになったとたんに、この女に懸想している青年Fernand《フェルナン》が罪を自分で引き受ける。憂悶《ゆうもん》の雲は忽ち無辜《むこ》の青年と、金を盗まれた両親との上に掩《おお
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