フである。
 ゆうべ東京を立って、今箱根に着いた。その足で浴室に行って、綺麗な湯を快く浴びては来たが、この旅行を敢《あえ》てした自分に対して、純一は頗《すこぶ》る不満足な感じを懐《いだ》いている。それが知らず識《し》らず顔色にあらわれているのである。
     *     *     *
 大村は近県旅行に立ってしまう。外に友達は無い。大都会の年の暮に、純一が寂しさに襲われたのも、無理は無いと云えば、それまでの事である。しかし純一はこれまで二日や三日人に物を言わずにいたって、本さえ読んでいれば、寂しいなんと云うことを思ったことはなかったのである。
 寂しさ。純一を駆って箱根に来させたのは、果して寂しさであろうか。Solitude《ソリチュウド》であろうか。そうではない。気の毒ながらそうではない。ニイチェの詞遣《ことばづかい》で言えば、純一はeinsam《アインザアム》なることを恐れたのではなくて、zweisam《ツヴァイザアム》ならんことを願ったのである。
 それも恋愛ゆえだと云うことが出来るなら、弁護にもなるだろう。純一は坂井夫人を愛しているのではない。純一を左右したものはなんだと、追窮して見れば、つまり動物的の策励だと云わなくてはなるまい。これはどうしたって庇護《ひご》をも文飾をも加える余地が無さそうだ。
 東京を立った三十日の朝、純一はなんとなく気が鬱してならないのを、曇った天気の所為《せい》に帰しておった。本を読んで見ても、どうも興味を感じない。午後から空が晴れて、障子に日が差して来たので、純一は気分が直るかと思ったが、予期とは反対に、心の底に潜んでいた不安の塊りが意識に上ぼって、それが急劇に増長して来て、反理性的の意志の叫声《さけびごえ》になって聞え始めた。その「箱根へ、箱根へ」と云う叫声に、純一は策《むち》うたれて起《た》ったに相違ない。
 純一は夕方になって、急に支度をし始めた。そこらにある物を掻《か》き集めて、国から持って出た革包に入れようとしたが、余り大きくて不便なように思われたので、風炉敷に包んだ。それから東京に出る時買って来た、駱駝《らくだ》の膝掛《ひざかけ》を出した。そして植長の婆あさんに、年礼に廻るのがうるさいから、箱根で新年をするのだと云って、車を雇わせた。実は東京にいたって、年礼に行《い》かなくてはならない家は一軒も無いのである。
 余
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