十六でも、もうあの時に或る過去を有していたらしいのだね。やはりその身元の話をした男が云ったのだが、茂子さんは初め女医になるのだと云って、日本医学校に這入って、男生ばかりの間に交って、随意科の独逸語を習っていたそうだ。その後《のち》何度学校を換えたか知れない。女子の学校では、英語と仏語の外は教えていないからでもあろうが、医学を罷《や》めたと云ってからも、男ばかりの私立学校を数えて廻っている。或る官立学校で独逸語を教えている教師の下宿に毎日通って、その教師と一しょに歩いていたのを見られたこともある。妙な女だと、その男も云っていた。とにかくproblematique[#一つ目の「e」は「´」付き]《プロブレマチック》な所のある女だね」
二人は肴町《さかなまち》の通りへ曲った。石屋の置場のある辺を通る時、大村が自分の下宿へ寄れと云って勧めたが、出発の用意は無いと云っても、手紙を二三本は是非書かなくてはならないと云うのを聞いて、純一は遠慮深くことわって、葬儀屋の角で袂を別った。
「Au revoir《オオ ルヴォアアル》!」の一声《いっせい》を残して、狭い横町を大股《おおまた》に歩み去る大村を、純一は暫く見送って、夕《ゆうべ》の薄衣《うすぎぬ》に次第に包まれて行《ゆ》く街を、追分の方へ出た。点燈会社の人足が、踏台を片手に提げて駈足で摩《す》れ違った。
二十二
箱根湯本の柏屋という温泉宿の小座舗《こざしき》に、純一が独り顔を蹙《しか》めて据わっている。
きょうは十二月三十一日なので、取引やら新年の設けやらの為めに、家《うち》のものは立ち騒いでいるが、客が少いから、純一のいる部屋へは、余り物音も聞えない。只早川の水の音がごうごうと鳴っているばかりである。伊藤公の書いた七絶《しちぜつ》の半折《はんせつ》を掛けた床の間の前に、革包《かばん》が開けてあって、その傍《そば》に仮綴のinoctavo《アノクタヴォ》版の洋書が二三冊、それから大版の横文《おうぶん》雑誌が一冊出して開いてある。縦にペエジを二つに割って印刷して、挿画《さしえ》がしてある。これはL'Illustration Theatrale[#「Theatrale」の一つ目の「e」は「´」付き、一つ目の「a」は「^」付き]《リルリュストラション テアトラアル》の来たのを、東京を立つ時、そのまま革包に入れて出た
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