どう云う筋の近附きだろうかと、純一が心の中《うち》に思うより先きに、大村が「妙な人に逢った」と、独言《ひとりごと》のようにつぶやいた。そして二人殆ど同時に振り返って見た時には、女はもう十歩ばかりも遠ざかっていた。
それから坂を降りて又登る途《みち》すがら、大村が問わず語りにこんな事を話した。
大村が始めてこの女に逢ったのは、去年雑誌女学界の懇親会に往った時であった。なんとか云う若いピアニストが六段をピアノで弾くのを聞いて、退屈しているところへ、遅れて来た女学生が一人あって、椅子が無いのでまごまごしていた。そこで自分の椅子を譲って遣って、傍《そば》に立っているうちに、その時もやはり本を包んで持っていた風炉敷《ふろしき》の角の引っ繰り返った処に、三枝《さいぐさ》と書いてあるのが目に附いた。その頃大村は女学界の主筆に頼まれて、短歌を選んで遣っていたが、際立って大胆な熱情の歌を度々採ったことがある。その作者の名が三枝茂子であった。三枝という氏《うじ》は余り沢山はなさそうなので、ふいと聞いて見る気になって、「茂子さんですか」と云うと、殆ど同時に女が「大村先生でいらっしゃいましょう」と云った。それから会話がはずんで、種々な事を聞くうちに、大村が外国語をしているかと問うと、独逸《ドイツ》語だと云う。独逸語を遣っている女というものには、大村はこの時始て出逢ったのである。
懇親会の翌日、大村の所へ茂子の葉書が来た。又暫く立つと、或る日茂子が突然大村の下宿へ尋ねて来た。Sudermann《ズウデルマン》のZwielicht《ズヴィイリヒト》を持って、分からない所を質問しに来たのである。さ程見当違いの質問ではなかった。しかし問わない所が皆分かっているか、どうだかと云うことを、ためして見るだけの意地わるは大村には出来なかった。
その次の度には、Nicht doch《ニヒト ドホ》と云う、Tavote《タヴォオテ》の短篇集を持って来た。先ず「ニヒト・ドホはなんと訳しましたら宜《よろ》しいのでしょう」と問われたには、大村は少からず辟易《へきえき》したと云うのである。これを話す時、大村は純一に、この独逸特有の語《ことば》を説明した。フランスのpoint du tout《ポアン ドュ ツウ》や、nenni−da[#「a」は「`」付き]《ナンニイ ダア》に稍《やや》似ていて、どこやら符合し
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