《かんがえ》を考えている子供だとか、あらゆる不公平を無くしてしまう工夫をしている子供だとか云うのもいました。内生活に立ち入る様な未来もまるで示してないことはないのです。しかし僕にはそれが、唯雑然と並べてあるようで、それを結び附ける鎖が見附からないのです。矛盾が矛盾のままでいるのですね。どう云うものでしょう」
 純一は覚えず能弁になった。そして心の底には始終おちゃらの名刺が気になっている。大村がその本をよこせと云って、手を出すような事がなければ好《い》いがと、切に祈っているのである。
 幸に大村は手を出しそうにもしないで云った。「そうさね。矛盾が矛盾のままでいるような所は、その脚本の弱点だろうね。しかし一体哲学者というものは、人間の万有の最終問題から観察している。外から覗《のぞ》いている。ニイチェだって、この間話の出たワイニンゲルだってそうだ。そこで君の謂《い》う内界が等閑にせられる。平凡な日常の生活の背後に潜んでいる象徴的意義を体験する、小景を大観するという処が無い。そう云う処のある人は、Simmel《シムメル》なんぞのような人を除《の》けたらマアテルリンクしかあるまい。だから君が雑然と並べてあると云う、あの未来の国の子供の分担している為事《しごと》が、悉《ことごと》く解けて流れて、青い鳥の象徴の中に這入ってしまうように書きたかったには違いないが、それがそう行《ゆ》かなかったのでしょう」
 純一は大村の詞を聞いているうちに、名刺を発見せられはすまいかと思う心配が次第に薄らいで行って、それと同時に大村が青い鳥から拈出《ねんしゅつ》した問題に引き入れられて来た。
「ところが、どうも僕にはその日常生活というものが、平凡な前面だけ目に映じて為様《しよう》がないのです。そんな物はつまらないと思うのです。これがいつかもお話をした利己主義と関係しているのではないでしょうか」
「それは大《おおい》に関係していると思うね」
「そうですか。そんならあなたの考えている所を、遠慮なく僕に話して聞かせて貰いたいのですがねえ」純一は大きい涼しい目を耀《かがや》かして、大村の顔を仰ぎ見た。
 大村は手に持っていた紙巻の消えたのを、火鉢の灰に挿して語り出した。「そうだね。そんなら無遠慮に大風呂敷を広げるよ」大村は白い歯を露《あら》わして、ちょっと笑った。「一体青い鳥の幸福という奴は、煎《せん》じ詰
前へ 次へ
全141ページ中103ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング