そうに思ったのに、引っ張られて来た塩田は、やはり曽根と同じような、番頭らしい男である。曽根は小男なのに、塩田は背が高い。曽根は細面で、尖《とが》ったような顔をしているのに、塩田は下膨れの顔で、濃い頬髯《ほおひげ》を剃《そ》った迹《あと》が青い。しかしどちらも如才なさそうな様子をして、目にひどく融通の利きそうなironique《イロニック》な閃《ひらめ》きを持っている。「こんな事を言わなくては、世間が渡られない。それでお互にこんな事を言っている。実際はそうばかりは行《い》かない。それもお互に知っている」とでも云うような表情が、この男の断えず忙《いそが》しそうに動いている目の中に現れているのである。
「芸者かね。何も僕が絶待《ぜったい》的に拒絶したわけじゃあないのです。学生諸君も来られる席であって見れば、そんなものは呼ばない方が穏当だろうと云ったのですよ」塩田は最初から譲歩し掛かっている。
「そんなら君の、その不穏当だという感じを少し辛抱して貰えば好《い》いのだ」と、偽善嫌いの男が露骨に出た。
相談は直ぐに纏《まと》まった。塩田は費用はどうするかと云い出して、一頓挫《いっとんざ》を来たしそうであったが、会費が余り窮屈には見積ってない処へ、侯爵家の寄附があったから、その心配はないと云って、曽根は席を起《た》った。
四五人を隔てて据わっていた瀬戸が、つと純一の前に来た。そして小声で云った。
「僕のような学生という奴は随分侮辱せられているね。さっきからの議論を聞いただろう」
純一が黙って微笑《ほほえ》んでいると、瀬戸は「君は学生ではないのだが」と言い足した。
「もう冷かすのはよし給え。知らない人ばかりの宴会だから、恩典に浴したくなかったのだ。僕はこんな会へ来たら、国の詞《ことば》でも聞かれるかと思ったら、皆|東京子《とうきょうっこ》になってしまっているね」
「そうばかりでもないよ。大臣の近所へ行って聞いていて見給え。ござりますのざに、アクセントのあるのなんぞが沢山聞かれるから」
「まあ、どうやらこうやら柳橋の芸者というものだけは、近くで拝見ができそうだ」
「なに。今頃出し抜《ぬけ》に掛けたって、ろくな芸者がいるものか。よくよくのお茶碾《ちゃひ》きでなくては」
「そういうものかね」
こんな話をしている時、曽根が座敷の真中に立って、大声でこう云った。
「諸君。大臣閣下は外
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