最後に某大臣が見えたのを合図に、隣の間《ま》との界《さかい》の襖《ふすま》が開かれた。
 何畳敷か知らぬが、ひどく広い座敷である。廊下からの入口《いりくち》の二間だけを明けて座布団が四角に並べてある。その間々に火鉢が配ってある。向うの床の間の前にある座布団や火鉢はだいぶ小さく見える程である。
 曽根が第一に大臣を床の間の前へ案内しようとすると、大臣は自分と同じフロックコオトを着た、まだ三十位の男を促して、一しょに席を立たせた。只大臣の服には、控鈕《ぼたん》の孔《あな》に略綬《りゃくじゅ》が挿《はさ》んである。その男のにはそれが無い。後《のち》に聞けば、高縄の侯爵家の家扶が名代《みょうだい》に出席したのだそうである。
 座席に札なぞは附けてないので、方々で席の譲り合いが始まる。笑いながら押し合ったり揉《も》み合ったりしているうちに、謙譲している男が、引き摩《ず》られて上座《じょうざ》に据えられるのもある。なかなかの騒動である。
 ようようの事で席の極まるのを見ていると、中程より下に分科大学の襟章《えりじるし》を附けたのもある。種々な学校の制服らしいのを着たのもある。純一や瀬戸と同じような小倉袴《こくらばかま》のもある。所謂《いわゆる》学生諸君が六七人いるのである。
 こんな時には純一なんぞは気楽なもので、一番跡から附いて出て、末席《ばっせき》と思った所に腰を卸すと、そこは幹事の席ですと云って、曽根が隣りへ押し遣った。
 ずっと見渡すに、上流の人は割合いに少いらしい。純一は曽根に問うて見た。
「今晩出席しているのは、国から東京に出ているものの小部分に過ぎないようですが、一体どんなたちの人がこの会を催したのですか」
「小部分ですとも。素《も》と少壮官吏と云ったような人だけで催すことになっていたのが、人の出入《でいり》がある度に、色々|交《まじ》って来たのですよ。今では新俳優もいます」
 こんな話をしているうちに、女中が膳を運んで来始めた。
 土地は柳橋、家は亀清である。純一は無論芸者が来ると思った。それに瀬戸がきのうの話の様子では来る例になっているらしかった。それに膳を運ぶのが女中であるのは、どうした事かと思った。
 酒が出た。幹事が挨拶をした。その中《うち》に侯爵家から酒を寄附せられたという報告などがあった。それからY県出身の元老大官が多い中に、某大臣が特に後進を
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