戸は純一に小声で云った。「あの先生はあれでなかなか剽軽《ひょうきん》な先生だよ。漢学はしていても、通人なのだからね」
純一は先生が幅広な、夷三郎《えびすさぶろう》めいた顔をして、女にふざける有様を想像して笑いたくなるのを我慢して、澄ました顔をしていた。
両国の橋手前《はしでまえ》で電車を下りて、左へ曲って、柳橋を渡って、高山先生の跡に附いて亀清《かめせい》に這入《はい》った。
先生がのろのろ上がって行《い》くと、女中が手を衝いて、「曽根さんでいらっしゃいますか」と云った。
「うん」と云って、女中に引かれて梯子《はしご》を登る先生の跡を、瀬戸が附いて行《い》くので、純一も跡から行った。曽根というのは、書肆《しょし》博聞社の記者兼番頭さんをしている男で、忘年会の幹事だと、瀬戸が教えてくれた。この男の名も、純一は雑誌で見て知っていた。
登って取っ附きの座敷が待合になっていて、もう大勢の人が集まっていた。
外はまだ明るいのに、座敷には電燈が附いている。一方の障子に嵌《は》めた硝子越しに、隅田川が見える。斜に見える両国橋の上を電車が通っている。純一は這入ると直ぐ、座布団の明いているのを見附けて据わって、鼠掛《ねずみが》かった乳色の夕べの空気を透かして、ぽつぽつ火の附き始める向河岸を眺めている。
一番盛んに見える、この座敷の一群は、真中に据えた棋盤《ごばん》の周囲に形づくられている。当局者というと、当世では少々恐ろしいものに聞えるが、ここで局に当っている老人と若者とは、どちらも極《きわめ》てのん気な容貌をしている。純一は象棋《しょうぎ》も差さず棋《ご》も打たないので、棋を打っている人を見ると、単に時間を打ち殺す人としか思わない。そう云えばと云って、何も時間が或る事件に利用せられなくてはならないと云う程の窮屈なutilitaire《ユチリテエル》になっているのでもないが、象棋やdomino《ドミノ》のように、短時間に勝負の付くものと違って、この棋というものが社交的遊戯になっている間は、危険なる思想が蔓延《まんえん》するなどという虞《おそれ》はあるまいと、若い癖に生利《なまぎき》な皮肉を考えている。それも打っている人はまだ好《い》い。それを幾重《いくえ》にも取り巻いて見物して居る連中に至っては、実に気が知れない。
この群《むれ》の隣に小さい群が出来ていて、その中心にな
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