ようだが、そう見るのが当り前のようだからね」
 純一は手に持っていたフォオクを置いて、目をかがやかした。「なる程そうです。どうぞ僕の希望ですから、哲学談をして下さい。僕は国にいた頃からなんでも因襲に囚《とら》われているのはつまらないと、つくづく思ったのです。そして腹の底で、自分の周囲の物を、何もかも否定するようになったのですね。それには小説やなんぞに影響せられた所もあるのでしょう。それから近頃になって、自分の思想を点検して見るようになったのです。いつかあなたと新人の話をしたでしょう。丁度あの頃からなのです。あの時積極的新人ということを言ったのですが、その積極的ということの内容が、どうも僕にははっきりしていなかったのです」
 給仕が大村の前にあるフライの皿を引いて、純一の前へ来て顔を覗《のぞ》くようにした。純一は「好《い》いよ」と云って、フォオクを皿の中へ入れて、持って行《い》かせて話し続けた。「そこで折々ひとりで考えて見たのです。そうすると、自分の思想が凡《すべ》て利己的なようなのですね。しかもけちな利己主義で、殆ど独善主義とでも言って好《い》いように思われたのです。僕はこんな事では行《い》けないと思ったのです。或る物を犠牲にしなくては、或る物は得られないと思ったのです。ところが、僕なんぞの今までした事には、犠牲を払うとか、献身的態度に出るとかいうような事が一つもないでしょう。それからというものはあれも利己的だ、これも利己的だと思ったのです。それだもんですから、貞操ということを考えた時も、生活の受用や種族の継続が犠牲になっているという側を考えずに、自己の保存だ、利己的だという側ばかり考えたのです」
 大村の顔には、憎らしくない微笑が浮んだ。「そこで自己を犠牲にして、恋愛を得ようと思ったというのですか」
「いいえ。そうではないのです。それは僕だって恋愛というものを期待していないことはないのです。しかし恋愛というものを人生の総てだとは思いませんから、恋愛を成就するのが、積極的新人の面目だとも思いません」純一は稍《や》やわざとらしい笑《わらい》をした。「つまり貧乏人の世帯調べのように、自己の徳目を数えて見て、貞操なんということを持ち出したのです」
「なる程。人間のする事は、殊に善と云われる側の事になると、同じ事をしても、利己の動機でするのもあろうし、利他の動機でするのもあ
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