。」
此時これまで黙つてゐた爺いさんのトビアスが婆あさんに言つた。「おい、己達も若い者の真似をしようぢやないか。己はこいつ等が中の好いのを見るのが嬉しくてならん。」
「えゝ/\、わたし達も丁度あの通りでしたわねえ。」
トビアスは婆あさんの頬にキスをした。婆あさんが返報に爺いさんにキスを二度して遣つた。丸で真木《まき》を割るやうな音がしたのである。
ドルフが云つた。「リイケや。こつちとらもいつまでも中好くしようぜ。」
「わたしあなたと中が悪くなる程なら、死んでしまふわ。」
「さうか。己はお前より二つ年上だ。お前が十になつた時、己は十二だつたが、今思つて見れば、己はもうあの時からお前が好だつた。それは今とは心持は違ふが。」
「あら、それはよして下さいな。わたしとあなたとの識合になつたのは、五月からの事にして下さらなくては厭。それより前の事は、どうぞ言はないで下さいね。どうぞ五月より前の事は言はないとさう云つて頂戴ね。でないと、わたし恥かしくつて、あなたと中好くすることが出来ませんから。」かう云つて、リイケは夫の胸に縋つた。そのとたんにリイケが少し身を反らせたので、産月《うみづき》にな
前へ
次へ
全32ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング