の間ひっそりとしている。
 三郎は足踏みをして、同じことを二三度繰り返した。手のもののうちから「和尚さん、どうしたのだ」と呼ぶものがある。それに短い笑い声が交じる。
 ようようのことで本堂の戸が静かにあいた。曇猛律師が自分であけたのである。律師は偏衫《へんさん》一つ身にまとって、なんの威儀をも繕《つくろ》わず、常燈明の薄明りを背にして本堂の階《はし》の上に立った。丈《たけ》の高い巌畳《がんじょう》な体と、眉のまだ黒い廉張《かどば》った顔とが、揺《ゆら》めく火に照らし出された。律師はまだ五十歳を越したばかりである。
 律師はしずかに口を開いた。騒がしい討手のものも、律師の姿を見ただけで黙ったので、声は隅々まで聞えた。「逃げた下人《げにん》を捜しに来られたのじゃな。当山では住持のわしに言わずに人は留めぬ。わしが知らぬから、そのものは当山にいぬ。それはそれとして、夜陰に剣戟《けんげき》を執《と》って、多人数押し寄せて参られ、三門を開けと言われた。さては国に大乱でも起ったか、公《おおやけ》の叛逆人《はんぎやくにん》でも出来たかと思うて、三門をあけさせた。それになんじゃ。御身《おんみ》が家の下人
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