眞志屋五郎兵衞と共に、世《よゝ》水戸家の用達であつたことは、夙《はや》く海録の記する所である。しかしわたくしは眞志屋の菓子商たるを知つて、河内屋の何商たるを知らなかつた。そのこれを知つたのは、金澤蒼夫さんを訪うた日の事である。
 わたくしは蒼夫さんの家に於て一の文書を見た。其中に「河内屋半兵衞、元和中より麪粉類《めんふんるゐ》御用相勤」云々《しか/″\》の文があつた。河内屋は粉商であつた。島は粉屋の娘であつた。わたくしの新に得た知識は啻《たゞ》にそれのみではない。河内屋が古くより水戸家の用達をしてゐたとは聞いてゐたが、いつからと云ふことを知らなかつた。その元和以還の用達たることは此文に徴して知られたのである。慶長中に水戸頼房入國の供をしたと云ふ眞志屋の祖先に較ぶれば少しく遲れてゐるが、河内屋も亦早く元和中に威公頼房の用達となつてゐたのである。
 金澤氏六代の増田東里には、弊帚集《へいさうしふ》と題する詩文稿があることを、蒼夫さんに聞いた。わたくしは卒《にはか》に聞いて弊帚の名の耳に熟してゐるのを怪んだ。後に想へば、水戸の栗山潜鋒《くりやませんぽう》に弊帚集六卷があつて火災に罹《かゝ》り
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