、弟|敦恒《とんこう》が其|燼餘《じんよ》を拾つて二卷を爲した。載せて甘雨亭叢書《かんうていそうしよ》の中にある。東里の集は偶《たま/\》これと名を同じうしてゐたのであつた。
わたくしの言はむと欲した所は是だけである。只最後に附記して置きたいのは、師岡未亡人石と東條琴臺の家との關係である。
初め高野氏石に一人の姉があつて、名をさくと云つた。さくは東條琴臺の子|信升《しんしよう》に嫁して、名をふぢと改めた。ふぢの生んだ信升の子は夭《えう》し、其|女《むすめ》が現存してゐるさうである。
淺井平八郎さんの話に據るに、石は嘗《かつ》て此縁故あるがために、東條氏の文書を託せられてゐた。文書は石が東條氏の親戚たる下田歌子さんに交付したさうである。
わたくしは琴臺の事蹟を詳《つまびらか》にしない。聞く所に據れば、琴臺は信濃《しなの》の人で、名は耕、字《あざな》は子臧《しざう》、小字《をさなな》は義藏である。寛政七年六月七日芝宇田川町に生れ、明治十一年九月二十七日に八十四歳で歿した。文政七年林氏の門人籍に列し、昌平黌《しやうへいくわう》に講説し、十年|榊原遠江守政令《さかきばらとほたふみのかみ
前へ
次へ
全103ページ中101ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング