此二句は書估《しよこ》活東子が戲作者小傳に載せてゐるものと同じである。小傳には猶「月こよひ枕團子《まくらだんご》をのがれけり」と云ふ句もある。活東子は「或年の八月十五夜に、病重く既に終らむとせしに快くなりければ、月今宵云々と書いて孫に遣りけるとぞ」と云つてゐる。
 壽阿彌は嘉永元年八月二十九日に八十歳で歿したから、歳暮の句は弘化四年十二月|晦日《みそか》の作、歳旦の句は嘉永元年正月|朔《ついたち》の作である。後者は死ぬべき年の元旦の作である。これより推せば、月今宵の句も同じ年の中秋に成つて、後十四日にして病《やまひ》革《すみやか》なるに至つたのではなからうか。活東子は月今宵の句を書いて孫に遣つたと云つてゐるが、壽阿彌には子もなければ孫もなかつただらう。別に「まごひこに別るゝことの」云々と云ふ狂歌が、壽阿彌の辭世として傳へられてゐるが、わたくしは取らない。
 月今宵は少くも灑脱《しやだつ》の趣のある句である。歳暮歳旦の句はこれに反して極て平凡である。しかし萬葉の百足《もゝた》らず八十のちまたを使つてゐるのが、壽阿彌の壽阿彌たる所であらう。
 短册の手迹《しゆせき》を見るに、壽阿彌は
前へ 次へ
全103ページ中96ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング