つてある。歸途に米庵等は※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の家に宿したが、只「主島田※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂」とのみ記してある。これは四月十八日の事である。紀行は市河三陽さんが抄出してくれた。
 荷溪は五山堂詩話に出てゐる。「藤枝※[#「蒙−くさかんむり」、196−下−16]荷溪《ふぢえだのちようかけいは》。碧字風曉《へきあざなはふうげうなり》。才調獨絶《さいてふひとりぜつす》。工畫能詩《ゑをたくみにししをよくす》。(中略)於詩意期上乘《しのいにおけるじやうじようをきす》。是以生平所作《ここをもつてせいへいつくるところは》。多不慊己意《おほくおのれのいにあきたらず》。撕毀摧燒《せいきさいせうして》。留者無幾《とゞめしものいくばくもなし》。」菊池五山は西駿《せいしゆん》の知己二人として、荷溪と※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂とを並記してゐる。
 次に書中に見えてゐるのは、不音《ぶいん》のわび、時候の挨拶《あいさつ》、問安で、其末に「貧道無異に勤行仕候間《ごんぎやうつかまつりそろあひだ》乍憚《はゞかりながら》御掛念被下
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