てある。これだけは全文を此に寫し出す。「いつも餘り長い手紙にてかさばり候故《そろゆゑ》、當年は罫紙《けいし》に認候《したゝめそろ》。御免可被下候《ごめんくださるべくそろ》。」わたくしは此ことわりを面白く思ふ。當年はと云つたのは、年が改まつてから始めて遣る手紙だからである。其年が文政十一年であることは、下《しも》に明證がある。六十歳の壽阿彌が四十五歳の※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂に書いて遣つたのである。
壽阿彌と※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂との交《まじはり》は餘程久しいものであつたらしいが、其|詳《つまびらか》なることを知らない。只《たゞ》此手紙の書かれた時より二年前に、壽阿彌が※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の家に泊つてゐたことがある。山内香雪が市河米庵に隨つて有馬の温泉に浴した紀行中、文政九年|丙戌《へいじゆつ》二月三日の條に、「二日、藤枝に至り、荷溪《かけい》また雲嶺《うんれい》を問ふ、到島田問※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂、壽阿彌|爲客《かくとなり》こゝにあり、掛川仕立屋投宿」と云
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