大窪《おほくぼ》天民、菊池五山、石野|雲嶺《うんれい》がある。歌人には岸本|弓弦《ゆづる》がある。畫家には喜多可庵がある。茶人には川上宗壽がある。醫師には分家名倉がある。俳優には四世坂東彦三郎がある。手紙を書いた壽阿彌と其親戚と、手紙を受けた※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂と其親戚知人との外、此等《これら》の人物の事蹟の上に多少の光明を投射する一篇の文章に、史料としての價値があると云ふことは、何人も否定することが出來ぬであらう。

     三

 わたくしは壽阿彌の手紙に註を加へて印刷に付することにしようかとも思つた。しかし文政頃の手紙の文は、縱《たと》ひ興味のある事が巧に書いてあつても、今の人には讀み易くは無い。忍んでこれを讀むとしたところで、許多《あまた》の敬語や慣用語が邪魔になつてその煩はしきに堪へない。ましてやそれが手紙にめづらしい長文なのだから、わたくしは遠慮しなくてはならぬやうに思つて差し控へた。
 そしてわたくしは全文を載せる代りに筋書を作つて出すことにした。以下が其筋書である。
 手紙には最初に二字程下げて、長文と云ふことに就いてのことわりが言つ
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