なしに昌林院の墓所にいけてしまつたのださうでございます。幾ら贔屓《ひいき》だつたと云つたつて、死骸《しがい》まで持つて來るのはひどいと云つて、こちらからは掛け合つたが、色々談判した擧句《あげく》に、一旦《いつたん》いけてしまつたものなら爲方《しかた》が無いと云ふことになつたと、夫が話したことがございます。」石は關口と云ふ後裔《こうえい》の名をだに知らぬのであつた。
 餘り長座をするもいかゞと思つて、わたくしは辭し去らむとしたが、ふと壽阿彌の連歌師であつたことに就いて、石が何か聞いてゐはせぬかと思つた。武鑑には數年間日輪寺其阿と壽阿曇※[#「大/周」、第3水準1−15−73]とが列記せられてゐて、しかも壽阿の住所は日輪寺方だとしてある。わたくしは是より先、淺草芝崎町の日輪寺に往つて見た。一つには壽阿彌の同僚であつた其阿の墓石を尋ねようと思ひ、二つには日輪寺其阿の名が一代には限らぬらしく、古く物に見えてゐるので、それを確めようと思つたからである。日輪寺は今の淺草公園の活動寫眞館の西で、昔は東南共に街《まち》に面した角地面であつた。今は薪屋の横町の衝當《つきあたり》になつてゐる。寺内の墓地は
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