記載とが符合してゐる。これは肅公の世の事で、義公は隱居の身分で藤井を誅《ちゆう》したのである。
 此等の事實より推窮すれば、落胤問題や屋號の由來は威公の時代より遲れてはをらぬらしく、餘程古い事である。始て眞志屋と號した祖先某は、威公|若《もし》くは義公の胤《たね》であつたかも知れない。

     十七

 わたくしは以上の事實の斷片を湊合《そうがふ》して、姑《しばら》く下《しも》の如くに推測した。水戸の威公若くは義公の世に、江戸の商家の女《むすめ》が水戸家に仕へて、殿樣の胤を舍《やど》して下げられた。此女の生んだ子は商人になつた。此商人の家は水戸家の用達で、眞志屋と號した。しかし用達になつたのと、落胤問題との孰《いづ》れが先と云ふことは不明である。その後代々の眞志屋は水戸家の特別保護の下にある。壽阿彌の五郎作は此眞志屋の後である。
 わたくしの師岡の未亡人石に問ふべき事は、只一つ殘つた。それは力士谷の音の事である。
 石は問はれてかう答へた。「それは可笑《をか》しな事なのでございます。好くは存じませんが其お相撲《すまふ》は眞志屋の出入であつたとかで、それが亡くなつた時、何のことわりも
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