の家は誰の家であつたか。これはどうも師岡の家であつたらしい。「伯父さんは内で亡くなつた」と、石の夫は云つてゐたさうだからである。
此《かく》の如くに考へて見ると、壽阿彌の手紙にある「愚姪」、伊澤|榛軒《しんけん》のために櫛に蒔繪をしたすゐさい、壽阿彌を家に居《お》いて生を終らしめた戸主の三人を、山崎、鈴木、師岡の三兄弟で分擔することゝなる。わたくしは此まで考へた時事の奇なるに驚かざるを得なかつた。
初めわたくしは壽阿彌の手紙を讀んだ時、所謂「愚姪」の女であるべきことを疑はなかつた。俗にをひを甥《せい》と書し、めひを姪《てつ》と書するからである。しかし石に聞く所に據るに、壽阿彌を小父と呼ぶべき女は一人も無かつたらしいのである。
爾雅《じが》に「男子謂姉妹之子爲出、女子謂姉妹之子爲姪」と云つてある。甥の字はこれに反して頗る多義である。姪は素《もと》女子の謂ふ所であつても、公羊傳《くやうでん》の舅出《きうしゆつ》の語が廣く行はれぬので、漢學者はをひを姪《てつ》と書する。そこで奚疑塾《けいぎじゆく》に學んだ壽阿彌は甥と書せずして姪と書したものと見える。此に至つてわたくしは既に新聞紙に刊し
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