たので、石は其《その》齡《よはひ》を記憶しない。しかし夫よりは餘程の年上であつたらしいと云ふ。兎に角齡の懸隔は小さからう筈が無い。彼の文政十一年に既に川上宗壽の茶技を評した人は、師岡に比して大いに長じてゐなくてはならない。わたくしは石の言を聞いて、所謂《いはゆる》愚姪は山崎の方であらうかと思つた。
 若し此推測が當つてゐるとすると、伊澤の刀自の記憶してゐる蒔繪師は、均《ひと》しく是《こ》れ壽阿彌の妹の子ではあつても、手紙の中の「愚姪」とは別人でなくてはならない。何故と云ふに石の言《こと》に從へば、蒔繪をしたのは鈴木と師岡とで、山崎は蒔繪をしなかつたさうだからである。
 蒔繪は初め鈴木が修行したさうである。幕府の蒔繪師に新銀町《しんしろかねちやう》と皆川町との鈴木がある。此兩家と氏《うぢ》を同じうしてゐるのは、或は故あることかと思ふが、今|遽《にはか》に尋ねることは出來ない。次で師岡は兄に此技を學んだ。伊澤の刀自の記憶してゐるすゐさいの號は、鈴木か師岡か不明である。しかしすゐさいの名は石の曾《かつ》て聞かぬ名だと云ふから、恐くは兄鈴木の方の號であらう。
 然らば壽阿彌の終焉《しゆうえん》
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