ようと云ふのである。
 雨の日である。わたくしは意を決して車を命じた。そして小石川傳通院の門外にある昌林院《しやうりんゐん》へ往つた。
 住持の僧は來意を聞いて答へた。昌林院の墓地は數年前に撤して、墓石の一部は傳通院の門内へ移し入れ、他の一部は洲崎へ送つた。壽阿彌の墓は前者の中にある。しかし柵《さく》が結《ゆ》つて錠が卸してあるから、雨中に詣《まう》づることは難儀である。幸に當院には位牌《ゐはい》があつて、これに記した文字は墓表と同じであるから佛壇へ案内して進ぜようと答へた。
 わたくしは問うた。「柵が結つてあると仰《おつし》やるのは、壽阿彌一人の墓の事ですか。それとも石塔が幾つもあつて、それに柵が結ひ繞《めぐ》らしてあるのですか。」これは眞志屋の祖先數代の墓があるか否かと思つて云つたのである。
「墓は一つではありません。藤井紋太夫の墓も、力士谷の音の墓もありますから。」
 わたくしは耳を欹《そばだ》てた。「それは思ひ掛けないお話です。藤井紋太夫だの谷の音だのが、壽阿彌に縁故のある人達だと云ふのですか。」
 僧は此間の消息を詳《つまびらか》にしてはゐなかつた。しかし昔から一つ所に葬つて
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