は微官とは云ひながら公儀の務をしてゐて、頻繁に劇場に出入し、俳優と親しく交り、種々の奇行があつても、曾《かつ》て咎《とがめ》を被《かうむ》つたことを聞かない。これも其類例が少からう。
此等の不思議の背後には、一の巷説があつて流布せられてゐた。それは壽阿彌は水戸侯の落胤《らくいん》ださうだと云ふのであつた。此巷説は保さんも母五百に聞いてゐる。伊澤の刀自も知つてゐる。當時の社會に於ては所謂公然の祕密の如きものであつたらしい。「なんでも卑しい女に水戸樣のお手が附いて下げられたことがあるのださうでございます。菓子店を出した時、大名よりは増屋《ましや》だと云ふ意《こゝろ》で屋號を附けたと聞いてゐます」と、刀自は云ふ。
わたくしはこれに關して何の判斷を下すことも出來ない。しかし眞志屋と云ふ屋號の異樣なのには、わたくしは初より心附いてゐた。そして刀自の言《こと》を聞いた時、なるほどさうかと頷《うなづ》かざることを得なかつた。兎《と》に角《かく》眞志屋と云ふ屋號は、何か特別な意義を有してゐるらしい。只その水戸家に奉公してゐたと云ふ女は必ずしも壽阿彌の母であつたとは云はれない。其女は壽阿彌の母ではな
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