江《をうこう》の門人で、明治三十三年に靜岡縣|周智《すち》郡長から伊勢神宮の神官に轉じた。今は山田市|岩淵町《いはぶちちやう》に住んでゐる。わたくしの舊知内田|魯庵《ろあん》さんは棠園さんの妻の姪夫《めひむこ》ださうである。
わたくしは壽阿彌の手紙に由つて棠園さんと相識になつたのを喜んだ。
二
壽阿彌の手紙の宛名《あてな》桑原※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂が何人かと云ふことを、二宮孤松さんに由つて略《ほゞ》知ることが出來、置鹽棠園さんに由つて委《くはし》く知ることが出來たので、わたくしは正誤文を新聞に出した。然《しか》るに正誤文に偶《たま/\》誤字があつた。市河三陽さんは此誤字を正してくれるためにわたくしに書を寄せた。
三陽さんは祖父米庵が※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂と交はつてゐたので、※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の名を知つてゐた。米庵の西征日乘中《せいせいにちじようちゆう》癸亥《きがい》十月十七日の條に、「十七日、到島田、訪桑原※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂已宿」と
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