》、高久隆古《たかひさりゆうこ》等と交つた。
※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の妻は置鹽蘆庵《おしほろあん》の二女ためで、石川|依平《よりひら》の門に入つて和歌を學んだ。蘆庵は棠園さんの五世の祖である。
※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の子は長を霜崖《さうがい》と云ふ。名は正旭《せいきよく》である。書を善《よ》くした。次を桂叢《けいそう》と云ふ。名は正望《せいばう》である。畫を善くした。桂叢の墓誌銘は齋藤拙堂が撰《えら》んだ。
桑原氏の今の主人は喜代平さんと稱して※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の玄孫に當つてゐる。戸籍は島田町にあつて、町の北半里|許《ばかり》の傳心寺に住んでゐる。傳心寺は桑原氏が獨力を以て建立《こんりふ》した禪寺で、寺祿《じろく》をも有してゐる。桑原氏|累代《るゐだい》の菩提所《ぼだいしよ》である。
以上の事實は棠園さんの手書中より抄出したものである。棠園さんは置鹽氏《おしほうぢ》、名は維裕《ゐゆう》、字《あざな》は季餘《きよ》、通稱は藤四郎である。居る所を聽雲樓《ていうんろう》と云ふ。川田|甕
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