は、刀自の話に由つて知られる。其他蒔繪師としての號をすゐさいと云つたこと、壽阿彌がためには妹の子であつたこと、御家人であつたこと等の分かつたのも、亦《また》刀自の賜である。
 最後に殘つてゐるのは、壽阿彌と水戸家との關係である。壽阿彌が水戸家の用達《ようたし》であつたと云ふことは、諸書に載せてある。しかし兩者の關係は必ず此用達の名義に盡きてゐるものとも云ひ難《にく》い。
 新石町の菓子商なる五郎作は富豪の身の上ではなかつたらしい。それがどうして三家の一たる水戸家の用達になつてゐたか。又|剃髮《ていはつ》して壽阿彌となり、幕府の連歌師の執筆にせられてから後までも、どうして水戸家との關係が繼續せられてゐたか。これは稍《やゝ》暗黒なる一問題である。

     十二

 何故《なにゆえ》に生涯|富人《ふうじん》ではなかつたらしい壽阿彌が水戸家の用達と呼ばれてゐたかと云ふ問題は、單に彼《かの》海録に見えてゐる如く、數代前から用達を勤めてゐたと云ふのみを以て解釋し盡されてはゐない。水戸家が此用達を待つことの頗る厚かつたのを見ると、問題は一層の暗黒を加ふる感がある。
 手紙の記《しる》す所を見るに
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