は、これを誤り傳へたのではなからうか。
 刀自の識つてゐた頃には、壽阿彌は姪に御家人の株を買つて遣つて、淺草菊屋橋の近所に住はせてゐた。其株は扶持《ふち》が多く附いてゐなかつたので、姪は内職に蒔繪をしてゐたのださうである。
 或るとき伊澤氏で、蚊母樹《いすのき》で作つた櫛《くし》を澤山に病家から貰つたことがある。榛軒は壽阿彌の姪に誂《あつら》へて、それに蒔繪をさせ、知人《しるひと》に配つた。「大そう牙《は》の長い櫛でございましたので、其《その》比《ころ》の御婦人はお使なさらなかつたさうです、今なら宜しかつたのでせう」と刀自は云つた。
 菊屋橋附近の家へは、刀自が度々榛軒に連れられて往つた。始て往つた時は十二歳であつたと云ふから、弘化三年に壽阿彌が七十七歳になつた時の事である。其頃からは壽阿彌は姪と同居してゐて、とう/\其家で亡くなつた。刀自はそれが盂蘭盆《うらぼん》の頃であつたと思ふと云ふ。嘉永元年八月二十九日に歿したと云ふ記載と、略《ほゞ》符合してゐる。
 壽阿彌の姪が茶技《ちやき》に精《くは》しかつたことは、伯父《をぢ》の手紙に徴して知ることが出來るが、その蒔繪を善《よ》くしたこと
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