せい》になつて出されたと云ふ、喜多村|※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]庭《ゐんてい》の説は疑はしい。
 壽阿彌は伊澤氏に來ても、囘向《ゑかう》に來た時には雜談などはしなかつた。しかし講釋に來た時には、事果てゝ後に暫《しばら》く世間話をもした。刀自はそれに就いてかう云ふ。「惜しい事には其時壽阿彌さんがどんな話をなさつたやら、わたくしは記《おぼ》えてゐません。どうも石川貞白さんなどのやうに、子供の面白がるやうな事を仰《おつし》やらなかつたので、後にはわたくしは餘り其席へ出ませんでした。」石川貞白は伊澤氏と共に福山の阿部家に仕へてゐた醫者である。當時阿部家は伊勢守正弘《いせのかみまさひろ》の代であつた。
 刀自は壽阿彌の姪《をひ》の事をも少し知つてゐる。姪は五郎作の妹の子であつた。しかし恨むらくは其名を逸した。刀自の記憶してゐるのは蒔繪師《まきゑし》としての姪の號で、それはすゐさいであつたさうである。若し其文字を知るたつきを得たら、他日訂正することゝしよう。壽阿彌が蒔繪師の株を貰《もら》つたことがあると云ふ※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]庭《ゐんてい》の説
前へ 次へ
全103ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング