自が十四歳の時に壽阿彌が八十で歿するまで、此|畸人《きじん》の言行は少女の目に映じてゐたのである。
刀自の最も古い記憶として遺つてゐるのは壽阿彌の七十七の賀で、刀自が十一歳になつた弘化二年の出來事である。此賀は刀自の父榛軒が主として世話を燒いて擧行したもので、歌を書いた袱紗《ふくさ》が知友の間に配られた。
次に壽阿彌の奇行が穉《をさな》かつた刀自に驚異の念を作《な》さしめたことがある。それは壽阿彌が道に溺《いばり》する毎に手水《てうづ》を使ふ料にと云つて、常に一升徳利に水を入れて携へてゐた事である。
わたくしは前に壽阿彌の托鉢《たくはつ》の事を書いた。そこには一たび假名垣魯文《かながきろぶん》のタンペラマンを經由して寫された壽阿彌の滑稽《こつけい》の一面のみが現れてゐた。劇通で芝居の所作事《しよさごと》をしくんだ壽阿彌に斯《かく》の如き滑稽のあつたことは怪むことを須《もち》ゐない。
しかし壽阿彌の生活の全體、特にその僧侶《そうりよ》としての生活が、啻《たゞ》に滑稽のみでなかつたことは、活きた典據に由つて證せられる。少時の刀自の目に映じた壽阿彌は眞面目《しんめんぼく》の僧侶である
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