かつ》て抽齋の奧書のある喜三二が隨筆を印行したが、大正五年五月に至つて、又|飛蝶《ひてふ》の劇界珍話と云ふものを收刻した。前者は無論横阿彌さんの所藏本に據つたものであらう。後者に署してある名の飛蝶は、抽齋の次男|優善《やすよし》後の優《ゆたか》が寄席《よせ》に出た頃看板に書かせた藝名である。劇界珍話は優善の未定稿が澀江氏から安田氏の手にわたつてゐて、それを刊行會が謄寫したものではなからうか。
十
壽阿彌の生涯は多く暗黒の中にある。寫本刊本の文獻に就てこれを求むるに、得る所が甚だ少い。然るにわたくしは幸に一人の活きた典據を知つてゐる。それは伊澤|蘭軒《らんけん》の嗣子|榛軒《しんけん》の女《むすめ》で、棠軒の妻であつた曾能子刀自《そのことじ》である。刀自は天保六年に生れて大正五年に八十二歳の高齡を保つてゐて、耳も猶《なほ》聰《さと》く、言舌も猶さわやかである。そして壽阿彌の晩年の事を實驗して記憶してゐる。
刀自の生れた天保六年には、壽阿彌は六十七歳であつた。即ち此手紙が書かれてから七年の後に、刀自は生れたのである。刀自が四五歳の頃は壽阿彌が七十か七十一の頃で、それから刀
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