衞門殿へも宜しく」と特筆してあるから、試に棠園《たうゑん》さんに小右衞門の誰なるかを問うて見たが、これはわからなかつた。
 壽阿彌は此等の人々に一々書を裁するに及ばぬ分疏《いひわけ》に、「府城、沼津、燒津等|所々認《しよ/\したゝめ》候故、自由ながら貴境は先生より御口達|奉願候《ねがひたてまつりそろ》」と云つてゐる。わたくしは筆不精ではないが、手紙不精で、親戚故舊に不沙汰ばかりしてゐるので、讀んで此《こゝ》に到つた時壽阿彌のコルレスポンダンスの範圍に驚かされた。
 壽阿彌の生涯は多く暗黒の中《うち》にある。抽齋文庫には秀鶴册子《しうかくさうし》と劇神仙話とが各《おの/\》二部あつて、そのどれかに抽齋が此人の事を手記して置いたさうである。青々園伊原さんの言《こと》に、劇神仙話の一本は現に安田|横阿彌《よこあみ》さんの藏※[#「去/廾」、204−下−9]《ざうきよ》する所となつてゐるさうである。若し其本に壽阿彌が上に光明を投射する書入がありはせぬか。
 抽齋文庫から出て世間に散らばつた書籍の中《うち》、演劇に關するものは、意外に多く横阿彌さんの手に拾ひ集められてゐるらしい。珍書刊行會は曾《
前へ 次へ
全103ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング