第3水準1−90−74]堂の襟懷をも想《おも》ひ遣《や》らせる。彦三郎は四世彦三郎であることは論を須《ま》たない。寛政十二年に生れて、明治六年に七十四歳で歿した人だから、此手紙の書かれた時二十九歳になつてゐた。「去《さる》夏狂言評好く拙作の所作事《しよさごと》勤候處、先づ勤めてのき候故、去顏見せには三座より抱へに參候|仕合故《しあはせゆゑ》、まづ役者にはなりすまし申候。」彦三郎を推稱する語の中に、壽阿彌の高く自ら標置してゐるのが窺《うかゞ》はれて、頗る愛敬がある。
 次に茶番流行の事が言つてある。これは「別に書付御覽に入候」と云つてあるが、別紙は佚亡《いつばう》してしまつた。
「何かまだ申上度儀御座候やうながら、あまり長事《ながきこと》故、まづ是にて擱筆《かくひつ》、奉待後鴻候《こうこうをまちたてまつりそろ》頓首《とんしゆ》。」此に二月十九日の日附があり、壽阿と署してある。宛《あて》は※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂先生座右としてある。
 次に※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の親戚及同驛の知人に宛てたコンプリマンが書き添へてある。其中に「小右
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