敬伏仕り居候事に御座候。」これは※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂が一たびさしおいた茶を又|弄《もてあそ》ぶのを、宗壽、鯉昇等に聞いたと云つて、それから宗壽の人物評に入り、宗壽を江戸一の茶博士と稱へ、姪も敬服してゐると云つたのである。
 川上宗壽は茶技の聞人《ぶんじん》である。宗壽は宗什《そうじふ》に學び、宗什は不白に學んだ。安永六年に生れ、弘化元年に六十八歳で歿したから、此手紙の書かれた時は五十二歳である。壽阿彌は姪が敬服してゐると云ふを以て、此宗壽の重きをなさうとしてゐる。姪は餘程茶技に精《くは》しかつたものとしなくてはならない。手紙に宗壽と並べて擧げてある三島の鯉昇は、その何人たるを知らない。
 壽阿彌は兩腕の打撲《うちみ》を名倉彌次兵衞に診察して貰つた。「はじめ參候節に、彌次兵衞申候は、生得《しやうとく》の下戸《げこ》と、戒行の堅固な處と、氣の強い處と、三つのかね合故《あひゆゑ》、目をまはさずにすみ申候、此三つの内が一つ闕候《かけさふらう》ても目をまはす怪我にて、目をまはす程にては、療治も二百日餘り懸《かゝ》り可申《まうすべく》、目をばまはさずとも百五六十日
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