に出て、先づ焉馬を驚したのではあるまいか。若《も》しさうだとすると、※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂に遣る此《この》遲馳《おくればせ》の年始状を書いたのは、始て托鉢に出た翌月であらう。此手紙は二月十九日の日附だからである。
壽阿彌が托鉢に出て、焉馬の門に立つた時の事は、假名垣魯文《かながきろぶん》が書いて、明治二十三年一月二十二日の歌舞伎新報に出した。わたくしの手許《てもと》には鈴木|春浦《しゆんぽ》さんの寫してくれたものがある。
壽阿彌は焉馬の門に立つて、七代目團十郎の聲色で「厭離焉馬《おんりえんば》、欣求淨土《ごんぐじやうど》、壽阿彌陀佛《じゆあみだぶつ》々々々々々」と唱へた。
深川の銀馬と云ふ弟子が主人に、「怪しい坊主が來て焉馬がどうのかうのと云つてゐます」と告げた。
焉馬は棒を持つて玄關に出て、「なんだ」と叫んだ。
壽阿彌は數歩退いて笠《かさ》を取つた。
「先生惡い洒落《しやれ》だ」と、焉馬は棒を投げた。「まあ、ちよつとお通下さい。」
「いや。けふは修行中の草鞋穿《わらぢばき》だから御免|蒙《かうむ》る。焉馬あつたら又|逢《あ》はう。」云《い》ひ
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