ま》の中にて、七人やけ死申候、(原註、親父《おやぢ》一人、息子《むすこ》一人、十五歳に成候見せの者一人、丁穉《でつち》三人、抱への鳶《とび》の者一人)外に十八歳に成候見せの者一人、丁穉一人、母一人、嫁一人、乳飮子一人、是等は助り申候、十八歳に成候者|愚姪方《ぐてつかた》にて去暮迄《さるくれまで》召仕候女の身寄之者、十五歳に成候者《なりそろは》愚姪方へ通ひづとめの者の宅の向ふの大工の伜《せがれ》に御坐候、此銅物屋の親父夫婦|貪慾《どんよく》強情にて、七年以前|見《み》せの手代一人土藏の三階にて腹切相果申候、此度は其恨なるべしと皆人申候、銅物屋の事故大釜二つ見せの前左右にあり、五箇年以前此邊出火之節、向ふ側|計《ばかり》燒失にて、道幅も格別廣き處故、今度ものがれ可申《まうすべく》、さ候はば外へ立のくにも及ぶまじと申候に、鳶の者もさ樣に心得、いか樣にやけて參候とも、此大釜二つに水御坐候故、大丈夫助り候由に受合申候、十八歳に成候男は土藏の戸前をうちしまひ、是迄《これまで》はたらき候へば、私方は多町一丁目にて、此所《ここ》よりは火元へも近く候間、宅へ參り働き度、是より御暇被下《おんいとまくださ》れと申候て、自分親元へ働に歸り候故助り申候、此者の一處に居候間の事は演舌にて分り候へども、其跡は推量に御坐候へ共、とかく見《み》せ藏《ぐら》、奧藏などに心のこり、父子共に立のき兼、鳶の者は受合|旁故《かた/″\ゆえ》彼是《かれこれ》仕候内に、火勢強く左右より燃かかり候故、そりや釜の中《うち》よといふやうな事にて釜へ入候處、釜は沸上《わきあが》り、烟《けぶ》りは吹かけ、大釜故入るには鍔《つば》を足懸りに入候へ共、出るには足がかりもなく、釜は熱く成|旁《かた/″\》にて死に候事と相見え申候、母と嫁と小兒と丁穉一人つれ、貧道弟子|杵屋《きねや》佐吉が裏に親類御坐候而|夫《それ》へ立退《たちのき》候故助り申候、一つの釜へ父子と丁穉一人、一つの釜へ四人入候て相果申候、此事大評判にて、釜は檀那寺《だんなでら》へ納候へ共、見物|夥敷《おびたゞしく》參候而不外聞の由にて、寺にては(自註、根津|忠綱寺《ちゆうかうじ》一向宗)門を閉候由に御坐候、死の縁無量とは申ながら、餘り變なることに御坐候故、御覽も御面倒なるべくとは奉存《ぞんじたてまつり》候へ共書付申候。」

     九

 此|銅物屋《かなものや》は屋號三文字屋であつたことが、大郷信齋の道聽途説《だうていとせつ》に由つて知られる。道聽途説は林|若樹《わかき》さんの所藏の書である。
 釜の話は此手紙の中で最も欣賞《きんしやう》すべき文章である。叙事は精緻《せいち》を極めて一の剩語《じようご》をだに著けない。實に據《よ》つて文を行《や》る間に、『そりや釜の中よ』以下の如き空想の發動を見る。壽阿彌は一部の書をも著《あらは》さなかつた。しかしわたくしは壽阿彌がいかなる書をも著はすことを得る能文の人であつたことを信ずる。
 次に笛《ふえ》の彦七《ひこしち》と云ふものと、坂東彦三郎とのコンプリマンを取り次いでゐる。彦七はその何人なるを考へることが出來ない。しかし「祭禮の節は不相變御厚情蒙《あひかはらずごこうせいかうむ》り難有由時々申出候《ありがたきよしじゞまうしいでそろ》」と云つてあるから、江戸から神樂《かぐら》の笛を吹きに往く人であつたのではなからうか。
「坂東彦三郎も御噂申出《おんうはさまうしいで》、兎角《とかく》駿河へ參りたい/\と計《ばかり》申居候」の句は、人をして十三驛取締の勢力をしのばしむると同時に、※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の襟懷をも想《おも》ひ遣《や》らせる。彦三郎は四世彦三郎であることは論を須《ま》たない。寛政十二年に生れて、明治六年に七十四歳で歿した人だから、此手紙の書かれた時二十九歳になつてゐた。「去《さる》夏狂言評好く拙作の所作事《しよさごと》勤候處、先づ勤めてのき候故、去顏見せには三座より抱へに參候|仕合故《しあはせゆゑ》、まづ役者にはなりすまし申候。」彦三郎を推稱する語の中に、壽阿彌の高く自ら標置してゐるのが窺《うかゞ》はれて、頗る愛敬がある。
 次に茶番流行の事が言つてある。これは「別に書付御覽に入候」と云つてあるが、別紙は佚亡《いつばう》してしまつた。
「何かまだ申上度儀御座候やうながら、あまり長事《ながきこと》故、まづ是にて擱筆《かくひつ》、奉待後鴻候《こうこうをまちたてまつりそろ》頓首《とんしゆ》。」此に二月十九日の日附があり、壽阿と署してある。宛《あて》は※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂先生座右としてある。
 次に※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の親戚及同驛の知人に宛てたコンプリマンが書き添へてある。其中に「小右
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