ゃい。お話をいたしましょう。」よしは台所の板の間におとなしくすわって、弟を円く堆《うずだか》い膝《ひざ》の上に招き寄せる。声は清く朗《ほがらか》である。「昔おいらんがございました。そのおいらんは目っかちでございました。そこへお客がまいりました。そのお客はあばたでございました。朝お客が帰る時、おいらんが送って出て、柚子《ゆず》来なますえと申しました。そら、あばたの顔は柚子見たいでございましょう。するとお客が、目っかち四っかち時分には来ようよと申しましたとさ。」よしのお伽話にはおいらんとお客とのみが人物として出るのである。
 人生の評価は千殊万別である。仏も王とすべく、魔も王とすべきである。大尽王香以、清兵衛を立つるときは、微塵数のパルヴニュウは皆守銭奴となって懺悔《ざんげ》し、おいらん王を立つるときは、貞婦烈女も賢妻良母も皆わけしらずのおぼことなって首を俛《た》るるであろう。
 名僧智識の宗教家王たるべきが如く、小説家王たるべきものもあろう。碩学《せきがく》大儒《たいじゅ》の哲学者王たるべきが如く、批評家王たるべきものもあろう。出版業者王たるべきものもあろう。新聞経営者王たるべきものもあろう。人生の評価は千殊万別である。
 わたくしは伊沢蘭軒、渋江抽斎を伝した後、たまたま来ってこの細木香以を伝した。※[#「車+全」、583−6]才《せんさい》わたくしの如きものが敢て文を作れば、その選ぶ所の対象の何たるを問わず、また努《つとめ》て論評に渉《わた》ることを避くるに拘《かかわ》らず、僭越は免れざる所である。
[#地から1字上げ](大正六年九・十月)

       ――――――――――――――――――――

 右の細木香以伝は匆卒《そうそつ》に稿を起したので、多少の誤謬《ごびゅう》を免れなかった。わたくしは此《ここ》にこれを訂正して置きたい。
 香以伝の末にわたくしは芥川龍之介さんが、香以の族人だと云うことを附記した。幸に芥川氏はわたくしに書を寄せ、またわたくしを来訪してくれた。これは本初対面の客ではない。打絶えていただけの事である。
 芥川氏のいわく。香以には姉があった。その婿《むこ》が山王町の書肆《しょし》伊三郎である。そして香以は晩年をこの夫婦の家に送った。
 伊三郎の女を儔《とも》と云った。儔は芥川氏に適《ゆ》いた。龍之介さんは儔の生んだ子である。龍之介さんの著《あ
前へ 次へ
全28ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング