らわ》した小説集「羅生門」中に「孤独地獄」の一篇がある。その材料は龍之介さんが母に聞いたものだそうである。この事は龍之介さんがわたくしを訪《と》うに先だって小島政二郎さんがわたくしに報じてくれた。
わたくしはまた香以伝に願行寺の香以の墓に詣《もうで》る老女のあることを書いた。そしてその老女が新原元三郎という人の妻だと云った。芥川氏に聞けば、老女は名をえいと云う。香以の嫡子が慶三郎で、慶三郎の女がこのえいである。えいの夫の名は誤っていなかった。
わたくしはえいが墓参の事を言うついでに附記したい。それは願行寺の樒《しきみ》売の翁媼《おううん》の事である。えいの事をわたくしの問うたこの翁媼は今や亡き人である。先日わたくしは第一高等学校の北裏を歩いて、ふと樒屋の店の鎖《とざ》されているのに気が付いたので、近隣の古本屋をおとずれて、翁媼の消息を聞いた。翁は四月頃に先ず死し、まだ百箇日の過ぎぬ間に、媼も踵《つ》いで死したそうである。わたくしは多少心を動さざることを得なかった。これを記している処へ、丁度宮崎虎之助さんの葉書が来た。「合掌|礼拝《らいはい》。森君よ。ずっと向うに見えて居るのは何でしょう。あれは死ですね。最も賢き人は死を確《しか》と認めて居ますね。十二月七日。祈祷《きとう》。」
次にわたくしは芥川氏に聞いた二三の雑事をしるして置く。香以の氏細木は、正しくは「さいき」と訓《よ》むのだそうである。しかし「ほそき」と呼ぶ人も多いので、細木氏自らも「ほそき」と称したことがあるそうである。
芥川氏は香以の辞世の句をわたくしに告げた。わたくしは魯文の記する所に従って、「絶筆、おのれにもあきての上か破芭蕉」の句を挙げて置いた。しかし真の辞世の句は「梅が香やちよつと出直す垣隣《かきどなり》」だそうである。梅が香の句は灑脱《しゃだつ》の趣があって、この方が好い。
芥川氏の所蔵に香以の父竜池が鎌倉、江の島、神奈川を歴遊した紀行一巻がある。上木し得るまでに浄写した美麗な巻で、一勇斎国芳の門人国友の挿画数十枚が入っている。
この游は安政二年|乙卯《おつぼう》四月六日に家を発し、五日間の旅をして帰ったものである。巻首に「きのとの卯《う》といへるとし、同じ月始の六日」と云ってある。また巻末に添えられた六山寅の七古の狂詩に、「四海安政乙卯年」「袷衣四月毎日楽」「往来五日道中穏」等の句が
前へ
次へ
全28ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング