大阪で舟に乗り込んだのが六月十一日である。朝鮮|征伐《せいばつ》の時の俘虜《ふりょ》の男女千三百四十余人も、江戸からの沙汰《さた》で、いっしょに舟に乗せて還《かえ》された。
浜松の城ができて、当時|三河守《みかわのかみ》と名のった家康はそれにはいって、嫡子信康《ちゃくしのぶやす》を自分のこれまでいた岡崎《おかざき》の城に住まわせた。そこで信康は岡崎|二郎三郎《じろうさぶろう》と名のることになった。この岡崎|殿《どの》が十八|歳《さい》ばかりの時、主人より年の二つほど若い小姓《こしょう》に佐橋甚五郎というものがあった。口に出して言いつけられぬうちに、何の用事でも果たすような、敏捷《びんしょう》な若者で、武芸は同じ年頃《としごろ》の同輩《どうはい》に、傍《そば》へ寄りつく者もないほどであった。それに遊芸が巧者で、ことに笛《ふえ》を上手《じょうず》に吹《ふ》いた。
ある時信康は物詣《ものもう》でに往った帰りに、城下のはずれを通った。ちょうど春の初めで、水のぬるみ初《そ》めた頃《ころ》である。とある広い沼《ぬま》のはるか向うに、鷺《さぎ》が一羽おりていた。銀色に光る水が一筋うねっている側
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