の黒ずんだ土の上に、鷺は綿を一つまみ投げたように見えている。ふと小姓の一人が、あれが撃《う》てるだろうかと言い出したが、衆議は所詮《しょせん》打てぬということにきまった。甚五郎は最初|黙《だま》って聞いていたが、皆《みな》が撃てぬと言い切ったあとで、独語《ひとりごと》のように「なに撃てぬにも限らぬ」とつぶやいた。それを蜂谷《はちや》という小姓《こしょう》が聞き咎《とが》めて、「おぬし一人がそう思うなら、撃ってみるがよい」と言った。「随分《ずいぶん》撃ってみてもよいが、何か賭《か》けるか」と甚五郎が言うと、蜂谷が「今ここに持っている物をなんでも賭きょう」と言った。「よし、そんなら撃《う》ってみる」と言って、甚五郎は信康の前に出て許しを請《こ》うた。信康は興ある事と思って、足軽《あしがる》に持たせていた鉄砲《てっぽう》を取り寄せて甚五郎に渡《わた》した。
「あたるもあたらぬも運じゃ。はずれたら笑うまいぞ」甚五郎はこう言っておいて、少しもためらわずに撃ち放した。上下こぞって息をつめて見ていた鷺《さぎ》は、羽を広げて飛び立ちそうに見えたが、そのまま黒ずんだ土の上に、綿一つまみほどの白い形をして
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