》であったから、今年は四十七になっておる。太い奴《やつ》、ようも朝鮮人になりすましおった。あれは佐橋甚五郎《さはしじんごろう》じゃぞ」
 一座は互いに目を合わせたが、今度はしばらくの間誰一人ことばを出すものがなかった。本多は何か問いたげに大御所の気色《けしき》を伺《うかが》っていた。
 家康は本多を顧みて、「もうよい、振舞《ふるま》いの事を頼《たの》むぞ」と言った。これは家康がこの府中の城に住むことにきめて沙汰《さた》をしたのが今年の正月二十五日で、城はまだ普請中《ふしんちゅう》であるので、朝鮮の使の饗応《きょうおう》を本多が邸《やしき》ですることに言いつけておいたからである。
「一応とりただしてみることにいたしましょうか」と、本多はやはり気色を伺いながら言った。
「いや。それは知らぬと言うじゃろう。上役《うわやく》のものは全く知らぬかも知れぬ。とにかくあの者どもは早くここを立たせるがよい。土地のものと文通などをいたさせぬようにせい」
「はっ」といって本多は忙《いそ》がしげに退出した。
 饗応の用意はかねてととのえてあった。使は本多の邸へ引き取って常の衣服に着換《きが》えた上で、振舞い
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