は長崎《ながさき》で造らせた白木の乗物に乗っていた。次は上官二十六人、中官八十四人、下官百五十四人、総人数二百六十九人であった。道中の駅々では鞍置馬《くらおきうま》百五十|疋《ぴき》、小荷駄馬《こにだうま》二百余疋、人足三百余人を続《つ》ぎ立てた。
駿府の城ではお目見えをする前に、まず献上物が広縁《ひろえん》に並《なら》べられた。人参《にんじん》六十|斤《きん》、白苧布《しろあさぬの》三十疋、蜜《みつ》百斤、蜜蝋《みつろう》百斤の四色《よいろ》である。江戸の将軍家への進物《しんもつ》十一色に比べるとはるかに略儀《りゃくぎ》になっている。もとより江戸と駿府とに分けて進上するという初めからのしくみではなかったので、急に抜差《ぬきさ》しをしてととのえたものであろう。江戸で出した国書の別幅《べっぷく》に十一色の目録があったが、本書とは墨色が相違《そうい》していたそうである。
この日に家康は翠色《みどりいろ》の装束《しょうぞく》をして、上壇《じょうだん》に畳《たたみ》を二|帖敷《じょうし》かせた上に、暈繝《うんげん》の錦の茵《しとね》を重ねて着座した。使は下段に進んで、二度半の拝をして、右か
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