長十二年四月に、朝鮮から始めての使が来た。もう家康は駿府《すんぷ》に隠居《いんきょ》していたので、京都《きょうと》に着いた使は、最初に江戸《えど》へ往けという指図《さしず》を受けた。使は閏《うるう》四月二十四日に江戸の本誓寺《ほんせいじ》に着いた。五月六日に将軍に謁見《えっけん》した。十四日に江戸を立って、十九日に興津《おきつ》の清見寺《せいけんじ》に着いた。家康は翌二十日の午《うま》の刻に使を駿府の城に召《め》した。使は一応老中|本多上野介正純《ほんだこうずけのすけまさずみ》の邸《やしき》に入って、そこで衣服を改めて登城《とじょう》することになった。
このたびの使は通政大夫呂祐吉《つうせいたゆうりょゆうきつ》、通訓大夫慶暹《つうくんたゆうけいせん》、同|丁好寛《ていこうかん》の三人である。本国から乗物を三つ吊《つ》らせて来た。呂祐吉の乗物には造花を持たせた人形が座の右に据《す》えてあった。捧《ささ》げて来た朝鮮王|李※[#「日+鉛のつくり」、102−12]《りえん》の国書は江戸へ差し出した。次は上々官|金僉知《きんせんち》、朴僉知《ぼくせんち》、喬僉知《きょうせんち》の三人で、これ
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