それから九郎右衛門は、旅の支度が出来たかと問うた。いずれお許が出てからと、宇平が云った。叔父の眉間には又皺が寄った。しかし今度は長い間なんとも言わなかった。外の話を色々した後で、叔父は思い出したように云った。「あの支度はのう、先へして置いても好いぞよ」
 六日には九郎右衛門が兄の墓参をした。七日には浜町の神戸方へ、兄が末期《まつご》に世話になった礼に往った。西北の風の強い日で、丁度九郎右衛門が神戸の家にいるうちに、神田から火事が始まった。歴史に残っている午年《うまどし》の大火である。未《ひつじ》の刻に佐久間町《さくまちょう》二丁目の琴三味線師の家から出火して、日本橋方面へ焼けひろがり、翌朝卯の刻まで焼けた。「八つ時分三味線屋からことを出し火の手がちりてとんだ大火事」と云う落首があった。浜町も蠣殻町も風下《かざした》で、火の手は三つに分かれて焼けて来るのを見て、神戸の内は人出も多いからと云って、九郎右衛門は蠣殻町へ飛んで帰った。
 山本の内では九郎右衛門が指図をして、荷物は残らず出させたが、申《さる》の下刻には中邸一面が火になって、山本も焼けた。
 りよは火事が始まるとすぐ、旧主人の
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