ら、自分は留守を伜健蔵に委《まか》せて置いて、助太刀に出たいと云うのである。主人本多意気揚は徳川家康が酒井家に附けた意気揚の子孫で、武士道に心入《こころいれ》の深い人なので、すぐに九郎右衛門の願を聞き届けた。江戸ではまだ敵討の願を出したばかりで、上《かみ》からそんな沙汰もないうちに、九郎右衛門は意気揚から拵附《こしらえつき》の刀|一腰《ひとこし》と、手当金二十両とを貰って、姫路を立った。それが正月二十三日の事である。
 二月五日に九郎右衛門は江戸蠣殻町の中邸にある山本宇平が宅に着いた。宇平を始《はじめ》、細川家から暇《いとま》を取って帰っていた姉のりよが喜《よろこび》は譬《たと》えようがない。沈着で口数をきかぬ、筋骨|逞《たくま》しい叔父《おじ》を見たばかりで、姉も弟も安堵《あんど》の思をしたのである。
「まだこっちではお許は出んかい」と、九郎右衛門は宇平に問うた。
「はい。まだなんの御沙汰もございません。お役人方に伺いましたが、多分忌中だから御沙汰がないのだろうと申すことで」
 九郎右衛門は眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せた。暫《しばら》くして、「大きい車は廻りが遅いのう」と云った。
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