のかみさだよし》の家来《けらい》原田某の妻になって、麻布《あざぶ》日《ひ》が窪《くぼ》の小笠原邸にいるのがあるが、それは間に合わないで、酒井邸には来なかった。
三右衛門は医師が余り物を言わぬが好いと云うのに構わず、女房子供にも、役人に言ったと同じ事を繰り返して言って聞せた。
蠣殻町の住いは手狭で、介抱が行き届くまいと言うので、浜町|添邸《そえやしき》の神戸《かんべ》某方で、三右衛門を引き取るように沙汰《さた》せられた。これは山本家の遠い親戚《しんせき》である。妻子はそこへ附き添って往った。そのうちに原田の女房も来た。
神戸方で三右衛門は二十七日の寅《とら》の刻に絶命した。
その日の酉《とり》の下刻《げこく》に、上邸《かみやしき》から見分《けんぶん》に来た。徒目附、小人《こびと》目附等に、手附《てつけ》が附いて来たのである。見分の役人は三右衛門の女房、伜宇平、娘りよの口書《くちがき》を取った。
役人の復命に依《よ》って、酒井家から沙汰があった。三右衛門が重手《おもで》を負いながら、癖者を中の口まで追って出たのは、「平生《へいぜい》の心得方宜《こころえかたよろしき》に附《つき》
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