を廻って、観音を拝んで、見識人《みしりにん》を桜井に逢わせて貰った礼を言った。それから蔵前《くらまえ》を両国へ出た。きょうは蒸暑いのに、花火があるので、涼旁《すずみかたがた》見物に出た人が押し合っている。提灯《ちょうちん》に火を附ける頃、二人は茶店で暫く休んで、汗が少し乾くと、又歩き出した。
川も見えず、船も見えない。玉や鍵《かぎ》やと叫ぶ時、群集が項《うなじ》を反《そ》らして、群集の上の花火を見る。
酉《とり》の下刻と思われる頃であった。文吉が背後《うしろ》から九郎右衛門の袖を引いた。九郎右衛門は文吉の視線を辿《たど》って、左手一歩前を行く背の高い男を見附けた。古びた中形《ちゅうがた》木綿の単物《ひとえもの》に、古びた花色|縞博多《しまはかた》の帯を締めている。
二人は黙って跡を附けた。月の明るい夜である。横山町を曲る。塩町《しおちょう》から大伝馬町《おおでんまちょう》に出る。本町を横切って、石町河岸《こくちょうがし》から龍閑橋《りゅうかんばし》、鎌倉河岸《かまくらがし》に掛る。次第に人通が薄らぐので、九郎右衛門は手拭を出して頬被《ほおかぶり》をして、わざとよろめきながら歩く。
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