戸にいることを知らせて遣《や》った手紙である。
文吉はすぐに玉造へお礼|参《まいり》に往った。九郎右衛門は文吉の帰るのを待って、手分をして大阪の出口々々を廻って見た。宇平の行方を街道の駕籠《かご》の立場《たてば》、港の船問屋《ふなどいや》に就《つ》いて尋ねたのである。しかしそれは皆徒労であった。
九郎右衛門は是非なく甥《おい》の事を思い棄てて、江戸へ立つ支度をした。路銀は使い果しても、用心金《ようじんきん》と衣類腰の物とには手は着けない。九郎右衛門は花色木綿の単物《ひとえもの》に茶小倉の帯を締め、紺麻絣《こんあさがすり》の野羽織を着て、両刀を手挟《たばさ》んだ。持物は鳶色《とびいろ》ごろふくの懐中物、鼠木綿《ねずみもめん》の鼻紙袋、十手|早縄《はやなわ》である。文吉も取って置いた花色の単物に御納戸《おなんど》小倉の帯を締めて、十手早縄を懐中した。
木賃宿の主人には礼金を遣り、摂津国屋へは挨拶《あいさつ》に立ち寄って、九郎右衛門主従は六月二十八日の夜船で、伏見から津へ渡った。三十日に大暴風《おおあらし》で阪の下に半日留められた外は、道中なんの障《さわり》もなく、二人は七月十一日の夜
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