る家に奉公した。次に本郷弓町の寄合衆《よりあいしゅう》本多|帯刀《たてわき》の家来に、遠い親戚があるので、そこへ手伝に往った。こんな風に奉公先を取り替えて、天保六年の春からは御茶の水の寄合衆酒井|亀之進《かめのしん》の奥に勤めていた。この酒井の妻は浅草の酒井石見守|忠方《ただみち》の娘である。
未亡人もりよも敵のありかを聞き出そうと思っていて、中にもりよは昼夜それに心を砕いていたが、どうしても手掛りがない。九郎右衛門や宇平からは便《たより》が絶々《たえだえ》になるのに、江戸でも何一つしでかした事がない。女子《おなご》達の心細さは言おう様がなかった。
月日が立って、天保六年の五月の初になった。或る日未亡人の里方の桜井須磨右衛門が浅草の観音に参詣して、茶店に腰を掛けていると、今まで歇《や》んでいた雨が又一しきり降って来た。その時茶店の軒へ駆け込んで雨を避ける二人|連《づれ》の遊人体《あそびにんてい》の男がある。それが小降になるのを待ちながら、軒に立ってこんな話をした。
一人が云った。「お前に話そうと思って忘れていたが、ゆうべの事だった。丁度今のように神田で雨に降り出されて、酒問屋《さ
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