急劇であったわりに、九郎右衛門の強い体は少い日数《ひかず》で病気に打ち勝った。
九郎右衛門の恢復《かいふく》したのを、文吉は喜んだが、ここに今一つの心配が出来た。それは不断から機嫌の変わり易《やす》い宇平が、病後に際立《きわだ》って精神の変調を呈して来たことである。
宇平は常はおとなしい性《たち》である。それにどこか世馴れぬぼんやりした所があるので、九郎右衛門は若殿と綽号《あだな》を附けていた。しかしこの若者は柔い草葉の風に靡《なび》くように、何事にも強く感動する。そんな時には常蒼《つねあお》い顔に紅《くれない》が潮《ちょう》して来て、別人のように能弁になる。それが過ぎると反動が来て、沈鬱《ちんうつ》になって頭を低《た》れ手を拱《こまね》いて黙っている。
宇平がこの性質には、叔父も文吉も慣れていたが、今の様子はそれとも変って来ているのである。朝夕《ちょうせき》平穏な時がなくなって、始終興奮している。苛々《いらいら》したような起居振舞《たちいふるまい》をする。それにいつものような発揚の状態になって、饒舌《おしゃべり》をすることは絶えて無い。寧《むしろ》沈黙勝だと云っても好い。只興
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