形に添うように離れぬと云うのであった。
 さすがの九郎右衛門も詞の返しようがなかった。宇平は蘇《よみがえ》った思《おもい》をした。
 それからは三人が摂津国屋を出て、木賃宿《きちんやど》に起臥《おきふし》することになった。もうどこをさして往って見ようと云う所もないので、只|已《や》むに勝《まさ》る位の考で、神仏の加護を念じながら、日ごとに市中を徘徊《はいかい》していた。
 そのうち大阪に咳逆《がいぎゃく》が流行して、木賃宿も咳《せき》をする人だらけになった。三月の初に宇平と文吉とが感染して、熱を出して寝た。九郎右衛門は自分の貰った銭で、三人が一口ずつでも粥《かゆ》を啜《すす》るようにしていた。四月の初に二人が本復すると、こん度は九郎右衛門が寝た。体は巌畳《がんじょう》でも、年を取っているので、容体《ようだい》が二人より悪い。人の好い医者を頼んで見て貰うと、傷寒《しょうかん》だと云った。それは熱が高いので、譫語《うわこと》に「こら待て」だの「逃がすものか」だのと叫んだからである。
 木賃宿の主人が迷惑がるのを、文吉が宥《なだ》め賺《すか》して、病人を介抱しているうちに、病附《やみつき》の
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